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★【傑作】『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006/Ave.95) text by PIANONAIQ

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作品NO.38 『涼宮ハルヒの憂鬱』




ハルヒ イメージ0 63


 

ハルヒ レーダー小 5 【傑作】 2クール


世界観:100 脚本/構成:95 演出:100
キャラ:95 演技(声優):100  引き:80 劇伴:95 作画:95


Ave.95   詳しくはこちら     ネタバレ厳禁度:★★★☆☆
 




1期 2006年4月~7月/2期 2009年4月~10月
TOKYO MX、他
1期 全14話/2期 全28話(再放送14話+新作14話)
ライトノベル原作谷川流
日常・ファンタジー・SF・学園




監督:石原立也
超監督:涼宮ハルヒ
シリーズ構成:涼宮ハルヒと愉快な仲間たち
キャラクターデザイン:池田晶子
美術監督:田村せいき
音響監督:鶴岡陽太
音楽:神前暁
アニメーション制作:京都アニメーション




<キャスト(主要)>

キョン:杉田智和
涼宮ハルヒ:平野綾
長門有希:茅原実里
朝比奈 みくる:後藤邑子
古泉一樹:小野大輔
朝倉涼子:桑谷夏子




 

【はじめに/作品概要】



ハルヒ イメージ1 



『涼宮ハルヒの憂鬱』(以下「ハルヒ」)といえば、今更語るまでもない、京都アニメーションによる今観返しても充分唸らされる高クオリティの映像や、衝撃的かつ実験的演出の数々を内包した作品である。

特に、原作の時系列と異なる順序で放送された2006年版(第1期)には、こんなアニメが当時本当に放映されたのかとあらためて驚いてしまう衝撃性がある。
その衝撃は、本企画が趣旨とする視聴ガイド的観点でいえば、もし未見の方がこれから「ハルヒ」を観るなら、初見時には是非2006年版を、と語気を強めさせるほどのものだ(先に2006年版を見ることで、2009年版は新規エピソードはもちろん、重複するエピソードも時系列通りに観られるのでまた違った発見があって二度楽しめるはず)。

エヴァ以降の(深夜)アニメ史においても、そのエポックメーキングな作風やコンセプト、クオリティは一際異彩を放つものであり、この点において本作は、深夜アニメファンにとってマストといってよい作品であろう。



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「ハルヒ」における衝撃的かつ実験的演出は、バラエティに富んだ各話のいたるところで見られ多岐に渡るものであり、それらを全て網羅して紹介するのは難しい。また、これだけの有名作、既にその辺は語り尽くされてもいるだろう。
そこで、今回この記事では少しいつもと趣を変え、本作の音楽(演出)に焦点を当てて語ろうと思っている。

この音楽あってこその涼宮ハルヒ、というぐらいに作中で重要な役割を担っている本作の音楽について語ることがそのまま作品(未見の方のための)ガイドの役割も果たすだろうし、また、それによってこれまであまり語られていないだろう「ハルヒ」の魅力が伝わればよい、というのが(一応の)狙いである。

加えて、本作の劇伴で見られる様々な工夫や秀逸なポイントを網羅して語ることが、全ての深夜アニメ作品における劇伴を考える際の手引きの役割を果たすひとつの大きな指標になるのではないか、といった別の狙いもある。



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「涼宮ハルヒの劇伴」――今回の記事に副題をつけるとすれば、こんな感じになるだろうか。

兎にも角にも、それだけ「ハルヒ」の劇伴は語り甲斐があって素晴らしいということ。


記事の主な流れは以下の通り。


まずは簡単に本作の内容を確認しながら、様々な劇伴に関するトピックについて順に語っていく(劇伴絡みの重要なトピックや造語は≪≫で括ることにした)。途中、本作屈指の音楽演出回である「射手座の日」、一回性演出の妙が際立つ「エンドレスエイト」エピソードを具体例として取り上げ、最後に、全ての要素が詰まった最大の音楽演出回にして本作品を象徴する話数「涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅵ」について語って締めようと思う(巻末の【視聴ガイド】の項で、2006年版、2009年版それぞれのエピソードの順番について整理しているので参考にしていただければと)。

涼宮ハルヒの憂鬱Ⅵ」は、2006年放映版では、全14話の最終話として物語を締めるのに相応しい圧倒的なカタルシスを見せつけたのはもちろんのこと、時系列順に放映された2009年版においても、憂鬱シリーズのラストとなる第6話で、涼宮ハルヒここにあり!といわんばかりに、それに引けをとらない十分なカタルシスを見せ付けた、とにかく圧巻の話数である(6話という尺の中でこれだけ壮大なスケールとカタルシスを発揮したアニメ作品というと、他に浮かぶのは「トップをねらえ!」ぐらいだろうか……)。



 

【目次】
 

 
第一部  ≪物語構造に即した音楽設計≫の妙


■ 「ハルヒ」の物語構造と≪優れた音楽的土壌≫について

■ ≪深夜アニメ史に残るメインテーマ≫について

■ ≪日常BGMと非日常BGMの住み分け≫

■ 「射手座の日」の音楽演出と≪クラシック曲の劇伴使用≫について



第二部  ≪繰り返し演出と一回性演出の対比≫の妙


■ ≪繰り返し演出≫が生む≪永遠のサントラ≫について

■ 「響け!ユーフォニアム」における≪繰り返し演出≫について

■ ≪一回性演出≫について



第三部  「涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅵ」の音楽演出について


■ 閉鎖空間に鳴り響くマーラー交響曲第8番

■ 最後に(涼宮ハルヒの劇伴)




【視聴ガイド】




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■ 作品評価     【傑作】   ※作品評価は主に1期の内容に対するもの   



傑作 絶対観た方がよい作品 
【名作】 観るべき、マストではずせない作品 
【良作】 観た方がよい(がマストではない)作品
【佳作】 時間があるなら観ることを勧めたい作品 
【水準作】 普通だが見どころはある作品

【凡作】 酷いが全否定ではない、どこか残念な作品 
【失敗作】 ほぼ全否定、何とも残念な作品 
【駄作】 取り上げる価値もない作品


【傑作・名作】 傑作と名作の中間
【傑作>名作】 傑作寄り
【傑作<名作】 名作寄り
※惜作 (名作になりえた惜しい作品)
※超神回 (ずば抜けて素晴らしい名作回がある作品)

◆ 作品評価順リスト(=「見て損はない作品」ランキング )はこちら




 
■ レーダーチャート評価   ※採点対象は主に1期 


ハルヒ レーダー
【総得点/Ave.】   760/95
――――――――――――――――――――――――――――――――
世界観 : 100
脚本/構成 : 95
演出 : 100                グループA:Ave. 98.3
――――――――――――――――――――――――――――――――
キャラ : 95
演技(声優) : 100            グループB:Ave. 97.5
――――――――――――――――――――――――――――――――
引き : 80 
劇伴 : 95                グループC:Ave. 87.5
――――――――――――――――――――――――――――――――
作画 : 95         
――――――――――――――――――――――――――――――――>


100 唯一無二、これ以上はそうそう望めない最高峰 
95   最高、傑作レベル、文句なし、その作品にとってなくてはならない 
90   めちゃくちゃ良い、名作レベル
85 
80   かなり良い(強い、巧い)、良作レベル 
75   良い(強い、巧い)
70   なかなか良い(強い、巧い)、佳作レベル
65
60   普通、水準作レベル、少々物足りないが及第点は出せる 
50   凡作レベル、2流  30  失敗作レベル、3流  0  駄作・愚作レベル


※ 各パラメータが含むもの、点数の付け方など、詳しくはこちら
※ Ave.と作品評価は別、つまりAve.が75でも【名作】にすることは可能
※ これまで扱った全作品の採点等は作品評価順リストの方に纏めています





■ ネタバレ厳禁度   


★★★☆☆  (少し注意。ネタバレによって面白さ・衝撃度が少し低減する可能性あり)







 

第一部  ≪物語構造に即した音楽設計≫の妙



 
■ 「ハルヒ」の物語構造と≪優れた音楽的土壌≫について




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日常と非日常の対比によって鮮明に浮かび上がる尊い日常――


極論すれば、本作の魅力はこの一点に集約されるのではないか、と私は考えている。


本作品では、あらゆるエピソードにおいて、平和な日常と、それと隣り合わせに存在する(危険な、奇妙な……etc)非日常が色々なやり方を持って描き出される。

例えば、「日常から非日常へと転じるスピード」はエピソードごとによって様々である。

能天気な、あるいは卑猥なコメディパートが続く中、何の前触れもなく突如、まるで通り魔に刺されるかのようにシリアスな場面に急転換する時もあれば、不穏な影にゆっくり覆われていくように穏やかな日常が徐々に非日常に侵食されていくこともある。

また、「日常と非日常の距離感」――つまり、どの程度のレベルの非日常かに関しても、猫が人の言葉を喋るといったものから、生命の危機、世界崩壊の危機、といった具合に非常に大きな触れ幅を持っている。


「日常から非日常へと転じるスピード」と「日常と非日常の距離感」の組み合わせによって作れ出される日常と非日常の様々な対比が本作の物語(面白さ)の核にある部分であり、それによって切実に浮かび上がってくるのが「尊い日常」ということである。



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本作のキャラ造形や設定を含めた物語構造もまた、考えれば考えるほど本当に恐ろしいほど良く出来ている。

ハルヒキョン古泉朝比奈ミクル長門有希という魅力的なキャラ達で構成されるSOS団が様々な物事に取り組む中で、事件、珍事、あらゆる状況に遭遇していくというのが本作で基本となる物語構造である(「サムデイ イン ザ レイン」のように特に何も起こらない日常回があるのもこの作品の醍醐味であり、冒頭で述べた衝撃性や実験性を担保している部分だ)。
この構造によって、本作の物語は、萌え、笑い、ラブコメ、日常、学園ものといった豊富な要素で常時安定した面白さを作り出しながら、SF、ミステリー、ファンタジー、時事ネタなどあらゆるジャンルに舵を切ることが出来るのである。

あらゆるジャンルに舵を切れる――これが意味するのは、「ハルヒ」という作品が幅広いジャンルの音楽を取り込めるということだ。


そもそもの物語や映像に力がなければ、音楽がそこで果たせる役割にも限界があるだろうことは、「劇」に「伴う」と書く劇伴の意味を考えれば自明ともいえるのだが、もし劇に力があれば……。

神前暁氏による楽曲や鶴岡陽太氏(あるいは山本寛氏)による演出は確かに素晴らしいものだが、それ以前の話として、「ハルヒ」という作品自体がそもそも、作曲家や演出家の才能に閃きや豊富なインスピレーションを与える極めて高いポテンシャル、劇の力を持った作品であるということである。
少々乱暴な言い方をすれば、この作品の物語と映像の力があれば、どんな音楽がそこで鳴ったとしてもそれはある程度には魅力的に聞こえてしまうだろうということ。


まとめると、

涼宮ハルヒという作品自体が、多彩な音楽演出や幅広いジャンルの音楽を無尽蔵に取り込み、それらを自らの世界観をより強固なものにする血肉として消化することができる懐の深さを持った極めてポテンシャルの高い作品であり、それはまた、音楽をより豊かに響かせる≪優れた音楽的土壌≫を持った作品とも呼べるものであると。


「(原作)物語の存在→スタッフの選出→音響監督の演出プラン→作曲家のスキル、イマジネーション→音響監督による音楽配置、編集」――実際にある曲がそのシーンに配されるまでに、このような複数人の才能と閃きが掛け合わされるいくつものプロセスが存在するという点で、≪作品と劇伴の「幸福な」出会い(関係)≫は奇跡的なものといっても大袈裟ではないだろう。

ハルヒという作品が持つ≪優れた音楽的土壌≫の上で、神前氏、鶴岡氏をはじめとするスタッフ陣の才能の掛けあわせが本作の高いポテンシャルを十全に引き出すことに成功したことは、奇跡、偉業と呼んでもよいものであると。


では次に、その偉業――尊い日常をより鮮やかに浮かび上がらせるために本作の音楽がどのように設計されたのかについて具体的に見ていくことにしよう。





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■ ≪深夜アニメ史に残るメインテーマ≫について





いつもの風景」――やはり「ハルヒ」といえばこの曲である。

尊い日常を効果的に伴奏する上で決定的な存在であるのはもちろん、この曲が流れるだけで我々の頭の中を一瞬でハルヒ色に染めてしまうその強烈な存在感は≪深夜アニメ史に残るメインテーマ≫と呼んで差し支えないものであろう。


ところで、そもそも作品(物語)と劇伴の関係というのは実に複雑で一筋縄ではいかない深いものであるように思う。

物語や映像の力で音楽が(その楽曲単体としてのポテンシャル以上に)より魅力的に聞こえる時もあれば、単体として聴いても十分に力のある楽曲が(当然の結果として)映像にもその力を分け与える、あるいは映像と音楽の互いに拮抗した力が化学変化を起こして予想外の高いエネルギーを生み出し奇跡的なシーンを作り出すこともあるだろう(このような≪映像と対等な関係を築ける劇伴≫の在り方が個人的には理想的であると思えるものなのだが、後述する「涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅵ」における最大の見せ場はまさにこのケースに当たるものである)。

一概に映像から劇伴だけを取り出してそれが良い音楽であると語ることはできない――つまり劇伴は、当たり前だが常に映像や物語とセットで存在しているということ。
この辺りの内容を踏まえたうえで、では強力なメインテーマがあると何が良いのか?という問いについて考えてみたい。

これに関しては、「いつもの風景」がない「ハルヒ」について考えてみれば何となく想像できるところではあるのだが、だいたい以下のようなものが挙げられるのではないかと思う(他にもまだまだあるだろうが、本格的なメインテーマ論はまた別の機会に委ねることにしたい)。


① セリフや映像に頼らず音楽によって何かを伝えられる
② 楽曲が持つ強力な劇伴効果でシーンを印象的に彩ることができる
③ メインテーマを軸に話を組み立てられそれを定番の型(話の運び)として反復使用できる
④ 作中に存在する様々な要素を代弁する曲の存在が、それらの要素をさらに色濃いものにする
⑤ 作品=メインテーマといえるほど作品と強力に結びついた楽曲の存在が、ファンの心ををいつまでもその作品に向けさせ続ける
⑥ (そういった)放映終了後もファンの心に生き続ける楽曲の存在が、≪永遠のサントラ≫として作品に関わる「何か」を妄想的かつ永続的に伴奏し続けることで、その作品に対する印象が年月を経るごとに美化されていく



①②は主に演出面における利点であるし、③などを考えると(あくまで推測だが)脚本面においても秀逸なメインテーマの存在は大きいと思われる。
④は優れたメインテーマの存在が無条件に作品の質を底上げするということ。
⑤⑥は放送終了後においてもいかにメインテーマの存在が作品にとって大きなものかを指し示すものだ(≪永遠のサントラ≫については後ほど再び取り上げる)。

そして、「いつもの風景」は、①~⑥全てを満たしているという点で、≪深夜アニメ史に残るメインテーマ≫と呼ぶに相応しいものであろう、ということである。
ちなみに、本企画でこれまでに扱った作品の中で、この曲と並べて語っても遜色ないメインテーマを持った作品というと、『とらドラ!』、『∀ガンダム』、『ファンタジックチルドレン』、『CLANNAD 〜AFTER STORY〜』ぐらいだろうか。

例えば、『とらドラ!』の「Startup」などは、「いつもの風景」のように①~⑥全てを満たすというわけではないが、①②③においては見劣りしないし、特に②に関しては「いつもの風景」以上に強い力を持っているのではないかと私は考えている。つまりは、楽曲単体として聞いても質の高い曲であるということになるのだが、先の作品(物語)と劇伴の複雑な関係の話でいえば、「Startup」は「いつもの風景」と同じく≪映像と対等な関係を築ける劇伴≫であるということだ。≪作品の勝ちを約束するような劇伴≫、といってもいいのかもしれないが、ともかくこのような劇伴を手にすることができた作品は幸せだし、強いということだ。


話を「ハルヒ」に戻そう。


作曲者である神前氏がどこかで公言していたはずだが、「いつもの風景」は、クリシェ(あるいはペダルポイント)を用いたイントロのサウンド、そしてその後に始まる印象的な旋律を聴いていただけるとわかると思うが、バート・バカラック作曲の名曲「雨にぬれても」から大きな着想を得て作られた楽曲であろう。





この曲を聴くと、私は思わず「ああ!」と心の中で叫びたくなってしまうが(笑)、皆さんはどのような感想をお持ちになるだろうか。

エピソードの冒頭で物語開始の合図として、あるいは平和な日常の象徴として鳴り出す「いつもの風景」。
そして非日常的体験の後、いつもの日常への回帰と同時に再びこの曲の印象的なイントロのサウンドと旋律が鳴り始める時、我々はいつもと同じ、でありながら少しばかり尊くなった日常の幸せをそこに見出しいい知れぬ安堵感と充実感を得るのである(楽曲に被さるキョンのモノローグとの相乗効果も大きいだろう。ここには、内容云々を超えて無意識レベルでより直接的に脳に作用・喚起するような音声的、あるいは反復的刺激が存在するようにも思える)。

これが本作品における音楽の定番にして決定的な演出のひとつだが、そこでこの曲が果たす役割は極めて大きいということができるだろう(後述するが、「涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅵ」においてもやはり例外に漏れずこの定番演出が採用されている)。





 
■ ≪日常BGMと非日常BGMの住み分け≫






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では次に、尊い日常を鮮明に浮かび上がらせるための「日常と非日常の対比」の部分に、劇伴がどのようにアプローチしているかについて考えてみよう。

本作品においては、一貫して、平和で能天気な日常パートは生楽器やコミカルなテイストの音色、遊び心のあるサウンドなどを軸に据えた楽曲で構成されている(代表曲として、「好調好調」を挙げたい。この曲では、曲調とともにその一見チープとも思える≪「音色」が作品の世界観に絶妙にフィットしている≫神前氏のこうした作品に寄り添うための音色選びの高いセンスは本作品の他の曲においても随所で見ることができる)。

それに対して非日常パートは、SF的なシークエンスになることが多いこともあって、エレクトロな音色を中心にアンビエントな雰囲気や浮遊感漂うサウンドの楽曲で構成されており、≪日常BGMと非日常BGMの住み分け≫が徹底されている

また、非日常パートの象徴ともいえる閉鎖空間での巨人(神人)の登場に際しては、より一層の非日常感を演出するため、ここにさらに男性コーラスを加えることで大きな効果を上げているのであるが(「神人」)、このコーラスが「涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅵ」におけるハルヒ史上最強の非日常BGMであるマーラー「交響曲第8番」で極限まで肥大する、というところにも一貫性のある演出プランを見出すことができるだろう(これについても後ほど詳述する)。



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昨今では、エレクトロなテイストの劇伴を日常BGMとして用いるケースもかなり頻繁に見られるようになったと思うが(「ノラガミ」、「Angel Beats!」、「Charlotte」……etc)、「ハルヒ」をこうしてあらためて観てみると、SFにエレクトロな劇伴を合わせるという王道だけどもある種ベタともいえる手法が実に高い効果を上げていることに驚く。

この効果の高さは、≪日常BGMと非日常BGMの住み分け≫の徹底があるからこそ実現されたものだともいえそうだし、そもそもの「劇」に力があるところも大きいと思うが、ともかく本作品の肝である日常と非日常の対比において、音楽側のこうした≪物語の裏側で無意識レベルで視聴者に働きかけて作品に引き入れるような演出≫の作用は決して小さなものではないだろう。


ここで前述の≪優れた音楽的土壌≫の話を思い出したいのだが、この作品が極めて高い「劇の力」を持つ上で大きいのは非日常パートの存在であろう。

非日常パート非日常性――この辺りは、ミクル長門といったキャラクター達の存在そのものが受け持つこともあるわけだが、やはり本作におけるクリティカルで核となる設定である。

何らかの「非日常性」がシーンに顔を出す時、物語には大きな変化や起伏(=劇の力)が生まれ、そこにひとつ上の次元の刺激的な音楽演出を挟み込める大きな可能性と余地が生まれる、というところに本作品の大きな強みがあり、この強みが本作を他の作品と一線を画する存在にしているのではないか、と私は考えている。


ではこの辺りで、第一章を締めくくるものとして、本作でも屈指の音楽演出回である「射手座の日」を例に、ここでどういった刺激的な音楽演出が施されたのかを具体的に見ていくことにしよう。





 
■ 「射手座の日」の音楽演出と≪クラシック曲の劇伴使用≫について





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「射手座の日」は、SOS団の面々がパソコンゲームに興じるという、コメディ要素を基本にしながら、ゲーム対戦・戦略もの的なジャンルに舵を切った話数である。

そしてここで見られるのは、ラヴェル「ダスニフとクロエ」、ショスタコーヴィチ「交響曲第7番」、チャイコフスキー「交響曲第4番」といったクラシック曲の渋いセレクトと遊び心溢れる粋な使用法である。


後ほど詳述する「涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅵ」にも関係するが、本作は≪クラシック曲の劇伴使用≫が素晴らしく冴え渡った作品だ。
この辺に関しては、こちらのサイト(http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/page108.html)が大変詳しいので是非一読をお勧めしたいのだが、本作で使用されているクラシック曲が誰の指揮によるものなのかまで詳細に言い当てている相当マニアックな内容には感服するしかないといった感じだ。
で、そんな通なサイトの考察が導き出しているのは、本作で使用されているクラシック曲は、数ある同一曲のバーションの中でもシーンにもっともフィットするようなテンポ、質感のものが厳選されており、それは明らかにクラシック玄人によるプロの仕事であろうということである。

本作で度々見られる効果的な≪クラシック曲の劇伴使用≫は一体誰の手腕によるものか?

推測の域は出ないが、音響監督である鶴岡陽太氏の他に、クラシック通で知られる山本寛氏の采配も大きかったのではないかと思案を巡らせるところである。


ところで、≪クラシック曲の劇伴使用≫というのは存外難しいものである、と私は考えている。
それとすぐにわかる質感を持ったクラシック曲が劇伴として潤滑油なしにいきなりその作品の世界観(色合い)にフィットするのは通常は難しい、というのが理由だ。

事実、本話数においても、クラシック曲の使用は、登場人物達がゲームの世界にトランスポートされた想像上のシーンにおいて、あくまで遊び心ある演出としての括りの中で成立している印象が(物語後半までは)強く、それはやはり「ハルヒ」の世界における通常シーンで流せば明らかに違和感が醸し出される質感を持っているように思えるのだ。



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それとすぐにわかる質感(一聴してそれだとわかる曲想や雰囲気)とは、クラシック曲がその管弦楽法や和声や旋律における伝統的書法によって避けられないものとして身に纏っているものだが、このいわばクラシック曲がもつクラシックらしさというものが、映像作品の劇伴として使用する際に大きな障害になるのだと私は考えている。

また、クラシック曲を劇伴として使用することによって、何故ここでその曲を使用したのか?といった、純粋な劇伴効果以外の様々な意味合いがそのシーンに良くも悪くも付加されてしまうことも多い(例えば、「新世紀エヴァンゲリオン」というあまりにも有名な先行例がある今、ベートーヴェを使用すれば、そこには少なからずエヴァの影がちらついてしまうという話もあるだろう。もしベートーヴェンを使うのであれば、そういった先行例によって築かれた文脈を踏まえる必要は少なからずあるだろうし、ともかくシーンに避けられないものとして付随してしまう何重もの意味合いを吟味、精査した上で、その曲をそこで使用するか否かの決定を下すという慎重な判断が求められということである。ただし、その何重もの別の意味合いが作品にとってプラスになる要素としてシーンが成立できれば、クラシック曲の劇伴使用は他のなにものにもかえがたい高い効果をそのシーンにもたらせてくれるということでもある)。

劇伴として物語全編にわたって大々的にクラシック曲が使用された『銀河英雄伝説』のように、こういった障害や問題点を打破して作品がもつ世界観の肌合いとクラシック曲のそれとが(様々な別の意味合いを生むことなく)絶妙にフィットする事例もあるが、それはやはりかなり稀なケースであるだろう(ちなみに、先のサイトでも触れられているが、本話数におけるチャイコフスキー「交響曲第4番」の使用は、『銀英伝』の「マル・アデッタ星域の会戦」における同曲の使用に対するオマージュといわれている)。
クラシック曲との親和性を左右するポイントとしては作風と語り口が大きいと思うが、クラシック曲を作品の世界観にフィットさせるためには、少なからず何らかの潤滑油となるような演出上の工夫やワンクッションが必要になるケースの方が多いということだ。

では「射手座の日」におけるワンクッションは何か?というと、それは、ゲーム内の想像上のシーンでは、ショスタコーヴィチのクラシック曲がそのままの質感で流れ、現実のシーンに戻れば、そのモチーフがゲームのピコピコ音に変わる(これが「ハルヒ」の世界観に合っていて実に効果的である)というものなのだが、この遊び心溢れる粋で計算された演出は本当に見事である。

しかし、ここからさらに先へ行くような、より高次元の刺激的な音楽演出があるのが「ハルヒ」の凄いところであり、それを生み出すのが、作品の肝となるクリティカルな設定である「非日常性」ということである。説明を続けよう。



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ゲームがSOS団の劣勢の様相を呈し始めた物語の局面において、本話数では、長門有希の超人的なパソコン処理速度と普段見せない感情的起伏が「非日常性」の役割を担い、それがより高次元の音楽演出を呼び込むのである。

キョンの呼びかけで長門に「勝ちたい」という閃くような感情の起伏が芽生えるクライマックスシーンにおいて、これまでゲーム内の想像上のシーンでしか鳴ることが許されなかったクラシック曲――チャイコフスキー「交響曲第4番」が現実のシーンでもそのままの質感で流れ始め、それがそのままゲーム内のBGMとして引き継がれていくことで音楽によってより爽快感を増した逆転劇による非常に大きなカタルシスが生まれる。


長門有希が担う「非日常性」が物語にもたらす起伏を利用することで、本来そのままではフィットしない質感を持ったクラシック曲を完全にわがものとして作品内に取り込み、大きなカタルシスを生み出すことに成功する――「射手座の日」で見られるのはこういったミラクルな演出である。







 
第二部  ≪繰り返し演出と一回性演出の対比≫の妙





第一部では、日常と非日常の対比によって尊い日常を鮮やかに浮かび上がらせるという本作の≪物語構造に即した音楽設計≫の妙について、またその物語構造が多彩で高次元の音楽演出を生み出す≪優れた音楽的土壌≫と呼べるべきものであることについて説明し、最後に高次元の音楽演出の具体例として「射手座の日」を取り上げた。

しかし、「ハルヒ」の優れた音楽的土壌が生み出す音楽演出には、例えば、「涼宮ハルヒの退屈」の野球回で見られた「タッチ」のパロディオマージュ(「野球は青春との接触」)など、まだまだ多くの多彩な引き出しが存在する。
よってここからは、そんな多彩な引き出しの中にあって「ハルヒ」という作品におけるもうひとつの要を担う音楽演出について説明していくことにする。

結論からいえば、それは、≪繰り返し演出と一回性演出の対比≫の妙といえるものである。

日常と非日常の対比というものが本作の物語構造における核であったが、音楽演出面においても対比構造が見られるということである。





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■ ≪繰り返し演出≫が生む≪永遠のサントラ≫について





「射手座の日」のクライマックスシーンで見られたような音楽演出は、いわば、本作品が非日常側に振れた時に顔を出す「動的」な音楽演出ともいえるものだが、それと対をなすように存在するもうひとつ大事な、常時安定した面白さを作るという意味で本作の基礎体力にあたるような「静的(でありながら刺激的)」な音楽演出である≪繰り返し演出≫について見ていくことにしよう。


右を向けば朝比奈ミクルがハルヒに羽交い絞めにされている光景があり、その背後で本来の用途からすればシリアスな場面で使われるはずの弦の曲が対比的に流れる(「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅰ」での朝比奈ミクル初登場シーンにおけるその名も「悲劇のヒロイン」)ことが笑いを作りだす。

左を向けば相変わらずのマイペースで無機質な返答でもって笑わせてくれる長門有希が居る。

そして、強気でドSでわがままで傍若無人で破天荒なまでに好奇心旺盛な「いつものハルヒ」が姿を現せば、そんなハルヒの様々なイメージにドンピシャでフィットする楽曲群(例えば、その名も「ザ・強引」、「何かがおかしい」……etc)がここぞとばかりのタイミングで流れ出す。



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まるで漫才のかけあいのように、ある種のシーン、キャラクター、イメージと強固に結びついた楽曲が映像とセットで次から次へ畳みかけるように流れ出すことで、物語に心地よい刺激やリズム感、安定感が生まれるのだが、こうした同じ楽曲の繰り返し使用による積み重ねが「ハルヒ」の世界観、面白さをぐっと強固なものにしているという印象は強い(本作のこうした≪繰り返し演出≫に似た音楽演出が見られた作品で他に何があったかを考えると、とりあえずすぐに浮かぶところでは「化物語」、「四畳半神話体系」といった作品が挙げられるだろうか。ちなみに、「ザ・強引」は、全話通して計9回という、「いつもの風景」等と並びその使用回数の多い楽曲である。この辺の各楽曲の総使用回数についてはこちら「ハルヒアニメ各話使用劇伴リスト」の表を参照のこと)。

TVシリーズのアニメ作品においては、限られた数の劇伴の中でやりくりしていくため、ある決まった楽曲を繰り返し使用するというのはひとつの定番演出法である。
これにはもちろん「節約」という側面もあるだろうが、ある楽曲が繰り返し使用され様々な意味合いを持つシーンと掛け合わされていく中で、その楽曲も多様な色合いや意味合いを持ち始め、作品にとって(も視聴者にとってもただの一劇伴という枠を超えた)かけがえのない大きな存在へと成長していくことこそ、この演出法がもたらす最大の恩恵ではないか、と私は考えている。また、そのような音楽とともに味わう物語には独特の幸福感や充実感があり、こうした作品体験ができるのも(劇場版等とは少し趣の異なる)TVシリーズのアニメ作品ならではの醍醐味のひとつではないだろうか。


作品内においてかけがえのない大きな存在へと成長することが出来た楽曲というのは、仮に作品の放映が終わってしまっても、視聴者の脳内で、その作品中に存在するあらゆる要素と結び付き、それらを伴奏する永遠の音の記憶のようなものとして生き続けることになる。そういった作品との幸福な出会いを果たした優れた劇伴曲は、作品と決して切り離せない密な関係性を保ちながらも、時として作品とは独立して生き続けるほどの大きな力を持ったもうひとつの物語と呼べるものでもあるだろうか。

こうした作品との深い関係性を持った劇伴(のあり方)のことを、本記事では≪永遠のサントラ≫と呼ぶことにしようと思う。

ある劇伴曲を聴いただけでその作品の名シーンが脳内に鮮やかに甦ってくるといった経験は少なからず一度や二度誰にでもあることだと思うが、この辺を考えても、劇伴というものが単にある作品の特定のシーンを伴奏するだけの作品の一瞬の構成要素にとどまるものではないということがいえよう。



 
■ 「響け!ユーフォニアム」における≪繰り返し演出≫について




鶴岡陽太氏が音響監督を務めた同じ京都アニメーション制作による「響け!ユーフォニアム」(以下「ユーフォ」)のオフィシャルファンブックの中に、鶴岡氏の≪繰り返し演出≫について音楽プロデューサー・斉藤滋氏が語った興味深い発言があるので、それを引用してこの演出法についてもう少し考えてみることにする。


この作品(「ユーフォ」)は劇伴の曲数が少ないんですよ。1クールのアニメだと最近は多くて40から50曲いくことがあるんですけど、本作では30もないですから。アニメをご覧になってきづいた方もいるかもしれませんが、似たシーンでは同じ曲を何度も使っているんです。そうしたのは、鶴岡さんが最終話に向けてどれだけのイメージを積み重ねられるかというのを気にされていたからなんですね。それを観ている僕らは知らないうちにすり込まれて、どんどん積み重ねられて、だからこそ最終話でその音楽が流れただけで感動してしまう。いわゆるパブロフの犬のように、特定の曲が流れたら感動するスイッチが発動するように作られている感覚がありました。曲数をいっぱい使って飽きさせないやり方もありますが、今回そうしなかったのは、曲の効果を最大限に生かすための工夫なんです。
(「響け!ユーフォニアム」オフィシャルファンブック、100頁)



この斉藤氏の発言は大変興味深いものであるが、これはそっくりそのまま「ハルヒ」における≪繰り返し演出≫や「いつもの風景」にも当てはまるものであると思う。

「ユーフォ」では、「運命の流れ」という楽曲(のモチーフ)が、作品を象徴するものとして繰り返し使われていたが、この楽曲は本作品のテーマにある青春――というと、やはり甘酸っぱくてほろ苦い、一言ではいい表せない宙に浮いたような思春期特有の複雑な感情を伴うものであると思うが、それ――を見事に表現した実にアカデミックな楽曲である(作曲者は松田彬人氏)。
「ユーフォ」においてはまさにこの曲が、「ハルヒ」における「いつもの風景」と同じ軸曲(メインテーマ)としての役割を果たし作品に大きく貢献していたわけである。

「最終話でその音楽が流れただけで感動してしまう」という斉藤氏の発言を補足するとすれば、作品全編にわたってかけがえのない青春の1ページ的場面を何度も彩ってきたこの楽曲がクライマックスで流れることで、映像によって過去の思い出のシーンをフィードバックするような演出を挟まずとも、音楽のみの喚起力によって走馬灯のように過去のシーンを甦らせることができる、とそんなところだろうか。




ユーフォ



 
■ ≪一回性演出≫について




対比の妙――「ハルヒ」においてはこの言葉がつくづくあらゆる局面において重要なキーワードになっていると思えるのだが、≪繰り返し演出≫が冴えれば冴えるほど、それと対比するように一回性を持った劇伴の使用法、すなわち≪一回性演出≫というものも必然的に大きな効果を上げることになる。

この演出が特に効果的であった代表的な話数を挙げるとすれば、「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅴ」、「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅵ」、「エンドレスエイトⅧ」、「ライブアライブ」、そして先に取り上げた「射手座の日」あたりになるだろうか。


涼宮ハルヒの憂鬱Ⅴ」では、2分以上にわたってハルヒが神妙な面持ちで幼少期の体験について語るシーンにおいて、本シーンのみ使用のピアノソロ曲「ハルヒの告白」が、彼女の心情を的確に表しながらそっと寄り添うようにこの印象的な場面を効果的に演出している。



ハルヒ イメージ14



エンドレスに続く地獄のような長い長い、長い(笑)ループから遂に抜け出す「エンドレスエイトⅧ」のクライマックスシーンでは、「流麗なる巻き戻し世界」→「舞い降りた解答」→「日常であることの幸せを」という流れで、やはり全てこのシーンのみ使用の一回性を持った楽曲群でつなぐ演出によって、「ハルヒ」の全話数中でも屈指のカタルシスを生み出すことに成功している。

流麗なる巻き戻し世界」は、フィルムスコアリング的にまさにこのシーンのためだけに書き下ろされたピアノ曲であるが、極めて劇伴効果の高い素晴らしい楽曲である(半音が肝になっているのだが、その使い方の巧さには脱帽させられる)。

ちなみに、「エンドレスエイト」エピソードには、他にも、「エンドレスなる月光」、「不変の心のはずだった」、「天体観測」、「入道雲と紙ヒコーキの関係」といった具合に、映像に対し大きな貢献を果たしている秀逸なピアノ曲が目白押しである。
上述の「ハルヒの告白」、それから「笹の葉ラプソディ」エピソードで印象に残る「短冊の向こうに」なども挙げられると思うが、神前暁氏によるこれらのピアノ劇伴は、他の作曲家の優れた仕事と比較してもトップクラスといえるものであり、本作品の魅力を語る上ではずせないものとなっている。


≪繰り返し演出≫との効果的な対比も大きいが、「流麗なる巻き戻し世界」や「ハルヒの告白」といった、全話通じてわずか一回使用されただけの楽曲すらもその印象的なシーンの記憶とともに≪永遠のサントラ≫化してしまうのだから、本作品の音楽(演出)の素晴らしさには脱帽せざるを得ない。


では、そろそろ最後の締めくくりとなる「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅵ」の音楽演出についての話題に入っていこうと思うが、この話数には≪一回性演出≫はもちろん、これまで語ってきた劇伴に関するトピックのほとんど全てが凝縮されている。
冒頭でも述べたように、本話数はそのとてつもないカタルシスと壮大なスケール感において「ハルヒ」という作品を代表するような話数であるが、物語と映像の力に負けないほどの強力な存在感を示す音楽(演出)の貢献度も非常に大きなものとなっている。このような、ともにハイレベルな映像と音楽の拮抗した力関係というのは稀有であり、この点において私は本話数を「アニメ史に刻まれる話数」として高く評価している。






 
第三部  「涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅵ」の音楽演出について




ここからは、「ハルヒ」における最大の音楽演出回にして本作品を代表する話数である「涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅵ」について、各シーンごとの音楽演出などを具体的に見ていくことにする(ネタバレを含む内容になりますので、作品未見の方は念のため視聴後にお読みください。この項をとばして<■ 最後に(涼宮ハルヒの劇伴)>へ進んでいただければと思います。また冒頭でも述べた通り、本話数を6話目で観るか最後に観るかでは、趣はそれぞれ異なれど感動の大きさには雲泥の差があると思うので、やはり初見の方には2006年版の方を強くお勧めします)。



ハルヒ イメージ16



定番曲「いつもの風景」とともに、いつもの朝の風景で物語は始まる。


≪OP曲なしでいきなり本編が始まる(そしてED部でOP曲を流す)最終回定番の演出≫は、スタート時点で視聴者に高揚感を持たせる上でやはり本話数でも効果を発揮している。
この時点で、この後あのような最悪の非常事態が起こることをキョンも、そしてわれわれ視聴者も誰も予想できないだろう、というぐらいに平和な雰囲気が漂っている。

この演出には、この後起こる非常事態をより効果的に見せるために、あえて最初に平和な雰囲気を殊更視聴者に印象付けるという意図も多分にあるだろうが、そのような意図において、「いつもの風景」という楽曲がもたらす耳からの作用は、無意識レベルであっても確実に視聴者に作用するものとして大きく貢献しているといえるだろう。

そしてこの後も、いつもの登校風景、友人とのたわいもないやりとり、部室でのSOS団のいつもの風景、といった具合に話は穏やかに続いていく。
それに対して劇伴は、「うんざりだ」→「何かがおかしい」→「ある雨の日」という、ある特定の雰囲気や役割を持ったシーンに連動するようにいつもの楽曲が鳴る定番ルーティーンを踏襲した≪繰り返し演出≫による流れで対応する。



ハルヒ イメージ17



朝比奈さんとキョンのこのシーンにおける嫉妬(?)がハルヒのフラストレーションレベルを一気に引き上げるトリガーとなってしまったということだろうか――この後、何の前触れもなく平和な日常は突如終わりを告げ、ハルヒ史上最悪の非常事態が訪れる。



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(この風景は閉鎖空間……しかし、だとしたら何故隣にハルヒが居るのだ……)


キョンのこの時点での思考はこのようなものだったのではないかと思うのだが、閉鎖空間においてそこに居るはずのないハルヒが居る――ここで、キョンだけでなく視聴者である我々もいつもとは違う非常事態の気配を感じとるのである。



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アダムとイブ、二人だけしかいない殺伐とした無人の学校風景――このような異常事態に遭遇した涼宮ハルヒはやはり好奇心でその目を輝かせていた……。


これまで実際に異常事態に遭遇してきたのは常にキョンであって、その異常事態を作り出した張本人であるハルヒが直接そこに立ち会うことはほとんどなかった。宇宙人や謎の転校生といった非日常に誰よりも強い好奇心を持っていたハルヒが、遂に念願である非日常の、しかも最大級の異常事態に立ち会っている――そう考えてここでのハルヒの反応や表情をあらためて注意深く眺めていると何かとても感慨深い気持ちになってしまうのは私だけだろうか。

このように幸せで顔を輝かせるハルヒの表情が見られるという点においても、本話数はやはり特別な回であるといえよう。



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緊迫した状況が続く静まりかえった部室で鳴り響くお茶を立てる音

SOS団のいつもの風景や安堵感の象徴ともいえるお茶を立てる音を異常事態の中で鳴り響かせるという見事な対比演出が、独特の雰囲気漂う光景を浮かび上がらせる。


異常事態だからこそあえて心を落ち着けてこれからの対処法を冷静に練らなければならない――いつもと変わらない平静を装っているかに見えるキョンだが、その内心では、ハルヒが閉鎖空間に居るという極めてまずい状況に不安を募せていたはずだ。

そして、古泉の登場とともに告げられる「世界崩壊の危機」によってキョンのその不安は的中、いよいよハルヒ史上最大の危機がその姿を現す。



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そんな中、今度は、長門との唯一の接触ツールであるPCの起動音がこの危機的状況で鳴り響く。

PCの起動音という普段は何でもない音がここでは一筋の希望の象徴、あるいは救いの福音のように鳴り響く光景は実に鮮烈だ。画面中を満たす極度の緊張感の中響き渡るその音によって、いい知れぬ高揚感がさらに我々視聴者の心の中を満たし始める。

≪音楽は一切使わず何気ない日常の生活音を用いて効果的な演出をする≫――「ハルヒ」は音響面においても実に見どころの多い作品であるが、本話数はそうした音響面における高いクオリティと演出力が如何なく発揮された回でもある。


そして遂にハルヒの憂鬱、破壊願望が生み出した巨人が姿を現し、ここでいよいよハルヒ史上最強の非日常BGMであるマーラー交響曲第8番「千人の交響曲」第1楽章が奏でられ始める。




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■ 閉鎖空間に鳴り響くマーラー交響曲第8番




sleeping beauty――Bパート18:40過ぎ、閉鎖空間にハルヒとたった二人きりで閉じ込められたキョンが、世界の崩壊を目前に王女の眠りを覚ます王子としての”行動”に踏み切るその瞬間、画面から放出される極大のエネルギー量は、圧倒的である。

この最大量のエネルギーが放出される18:40過ぎのブレイクポントを目がけて、自身にとってのハルヒとは何かを自問する、キョンが決してこれまで行ってこなかった(いわばタブーともいえる)モノローグの語気は高まり、また画面でもそれに連動するようにキョンの脳内イメージの中のハルヒが4分割から6、9、17、25、121分割へと増幅、膨張していくという実に刺激的な映像演出が施される。

そして音楽では、マーラー交響曲第8番「千人の交響曲」第1楽章の、クラシック音楽ならではの圧倒的スケール感をもった荘厳なサウンドが、このハルヒ史上最大のクライマックスシーンにおいて決定的な仕事をする。



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ここでマーラーがこれだけ決定的に鳴り響くに至った理由を考えた時、曲自体の力はもちろんだが、これまでの全ての音楽演出による積み重ねも非常に重要である。

例えば、これまでの徹底した同じ曲の≪繰り返し演出≫があったからこそ、ここでの≪一回性演出≫、つまり一回限りのマーラーの使用がより鮮烈な印象を残した側面はあるだろう。

男性コーラスをそのイメージの核とする閉鎖空間でのBGM曲「神人」と、圧倒的スケールの合唱が内在するマーラーの間には連続性と一貫性のある演出プランを見出すことができるという話もあった。

≪クラシック曲の劇伴使用≫のトピックに関しては概ね「射手座の日」の項で述べたものがそのまま本シーンにもあてはまるのだが、ワンクッションを挿まずにクラシック曲が劇伴として作品の世界観にフィットしている点は注視すべきである。
何らかの「非日常性」がシーンに顔を出す時、そこにひとつ上の次元の刺激的な音楽演出を挟み込める大きな可能性と余地が生まれるという≪優れた音楽的土壌≫の話にも関係してくるのだが、それを可能にしたのは本シーンで示される全話数中でも屈指の、極限レベルの非日常性ではないか、と私は考えている。
またそれは、劇伴と作品との複雑な関係の話でいえば、ここでのマーラーの使用は、単体として聴いても十分に力のある楽曲が映像にもその力を分け与えた、あるいは≪映像と対等な関係を築ける劇伴≫の在り方の好例であるともいえるだろう。

ちなみに、先に紹介したこちらの通な考察サイトでも述べられているように、ここでのマーラーの使用は、単に映像に負けないレベルの荘厳なサウンドを目当てとしているだけではなく、コーラスの歌詞の意味によって本シーン(作品)に含みと奥行きを持たせる意図もあってのものというのだから、そのこだわりと徹底ぶりは相当なものである。



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しかし、巨人の登場から王子の口づけに至るわずか4分弱のシークエンスにおいて、マーラーの壮大な音楽を背景に際限なく上昇していく映像と音の熱量、エネルギーの凄まじさは、あらたて、圧倒的である。

物語、セリフ、映像、音響、音楽……画面に存在するあらゆる要素が互いに及ぼし合い、また渾然一体となって創出する混沌とカタルシスが圧巻としかいいようのないこのシーンは、涼宮ハルヒという作品を代表するシーンであるにとどまらず、アニメ史に刻まれる名シーンといってもいいのではないだろうか。

私は常々、アニメという表現媒体の(小説、漫画、実写映画……などと比較した場合の)最大の強みは音楽にあると思っているのだが、その音楽演出が特別に冴え渡った本シーンは、人々を魅了してやまない(深夜)アニメのその底知れない力が鮮烈に示されたシーンの一例としても大いに語られるべきものだろうと。



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そして、王子の口づけによって世界崩壊の危機を脱した物語はいつもの風景を取り戻す。


そこには、ポニー・テールになった愛らしいハルヒの姿と、尊い日常がある。






 
■ 最後に(涼宮ハルヒの劇伴)




これまで取り上げた劇伴に関するトピックは以下の通り。



① ≪物語構造に即した音楽設計≫
② ≪優れた音楽的土壌≫
③ ≪作品と劇伴の「幸福な」出会い(関係)≫
④ ≪深夜アニメ史に残るメインテーマ≫
⑤ ≪映像と対等な関係を築ける劇伴≫
⑥ ≪永遠のサントラ≫
⑦ ≪作品の勝ちを約束するような劇伴≫
⑧ ≪日常BGMと非日常BGMの住み分け≫
⑨ ≪「音色」が作品の世界観に絶妙にフィットしている≫
⑩ ≪物語の裏側で無意識レベルで視聴者に働きかけて作品に引き入れるような演出≫
⑪ ≪クラシック曲の劇伴使用≫
⑫ ≪繰り返し演出と一回性演出の対比≫
⑬ ≪繰り返し演出≫
⑭ ≪一回性演出≫
⑮ ≪OP曲なしでいきなり本編が始まる(そしてED部でOP曲を流す)最終回定番の演出≫
⑯ ≪音楽は一切使わず何気ない日常の生活音を用いて効果的な演出をする≫




これらのほとんど全てが詰まった集大成的話数が「涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅵ」であることについては前項、前々項で語ることができたと思う。


これだけ劇伴について語り甲斐のある作品というのは、やはりそう多くはないだろう。


<本作の劇伴で見られる様々な工夫や秀逸なポイントを網羅して語ることが、全ての深夜アニメ作品における劇伴を考える際の手引きの役割を果たすひとつの大きな指標になるのではないか>という冒頭で述べた本記事の狙いがどこまで達成されたのかはわからないが、深夜アニメ作品の劇伴について何か考える機会があった時に少しでもこの記事の存在がお役に立てれば嬉しい限りである。

作品ガイドとして機能しているのかどうかも甚だ疑わしいが、是非本作を劇伴にも注目しつつ観ていただければ幸いです。





ハルヒ イメージ15





 
【視聴ガイド】





以下に2006年版、2009年版それぞれのエピソードの順番について整理しておくので参考にしていただければと思います(アンダーラインは2009年版で追加された新規エピソード)。


話数    2009年版/2006年版

第1話   涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅰ/朝比奈ミクルの冒険 Episode00
第2話   涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅱ/涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅰ
第3話   涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅲ/涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅱ
第4話   涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅳ/涼宮ハルヒの退屈
第5話   涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅴ/涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅲ
第6話   涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅵ/孤島症候群(前編)
第7話   涼宮ハルヒの退屈/ミステリックサイン
第8話   笹の葉ラプソディ/孤島症候群(後編)  
第9話   ミステリックサイン/サムデイ イン ザ レイン
第10話   孤島症候群(前編)/涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅳ
第11話   孤島症候群(後編)/射手座の日
第12話   エンドレスエイト Ⅰ/ライブアライブ
第13話   エンドレスエイト Ⅱ/涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅴ
第14話   エンドレスエイト Ⅲ/涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅵ
第15話   エンドレスエイト Ⅳ
第16話   エンドレスエイト Ⅴ
第17話   エンドレスエイト Ⅵ
第18話   エンドレスエイト Ⅶ
第19話   エンドレスエイト Ⅷ
第20話   涼宮ハルヒの溜息 Ⅰ
第21話   涼宮ハルヒの溜息 Ⅱ
第22話   涼宮ハルヒの溜息 Ⅲ
第23話   涼宮ハルヒの溜息 Ⅳ
第24話   涼宮ハルヒの溜息 Ⅴ
第25話   朝比奈ミクルの冒険 Episode00
第26話   ライブアライブ
第27話   射手座の日
第28話   サムデイ イン ザ レイン


このうち本文で取り上げたエピーソは以下の9つ。


涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅰ
涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅴ
涼宮ハルヒの憂鬱 Ⅵ
涼宮ハルヒの退屈
笹の葉ラプソディ
エンドレスエイト Ⅷ
ライブアライブ
射手座の日
サムデイ イン ザ レイン






ハルヒ イメージ







執筆者 : PIANONAIQ (@PIANONAIQ



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【水準作】5
【凡作】0
【失敗作】1
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※惜作 4 ※超神回 4

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